小説家であり続けることが難しいと言っていた村上春樹の言葉。
自分の作曲のことを思った。
私は、これまでの人生で、作曲から離れていた時期がある。
機械のコマのように会社で作曲漬けの後と、病気になった頃。
前者は逃げた状態、後者は創りたくても創れない状態。
でも、そんなときがあったから、今は創りたいものがハッキリしてるし、創る姿勢がちがう。
以前は、ただ降ってくるときもあったし、絞り出すときも多かった。どこか力んでいたんだ。
音楽は、音を並べれば、一応音楽らしくなる。
でも、そこに魂が入っているかどうか。
制作会社にいた頃、たまに最終ミックスをスタジオでやって、その時はエンジニアが仕上げをしていた。
ミックスの最後、社長が「さあ、魂を込めよう!」と言って調整していて、その言い方が私はとても好きだった。
魂を込める。
音楽に、命を吹き込む。
そんなイメージ。
今は、自分が音楽を創っていると思っていない。
目に見えないし聞こえないけど既にそこに漂っているものを、ただ、聴こえるようにしてあげてるだけ。
そんな感じ。
だから、「私は作曲してます。」というのが、どこか心地悪い。
今の私にとって作曲は、あまりに当たり前で、自分の一部であり、何も特別なことじゃない。
作曲家であり続けることは、難しいのか?
今は、既に在るモノを、私という媒体を通して、正しくカタチにしてあげる、という創り方だから、読み取る感覚の純度を高めるために、ちがうエネルギーを使う。
だから、1曲仕上がると、そこへ注ぎ込んでいたエネルギーが大量に消費されて、しばらく休んでしまう。
休みをコントロールしない限り、次が遅れる。
だからこそ、そういう時も書き続けることが、小説家であり続ける道だと、村上春樹が言っているのだろう。