私の音楽づくりは、世界観を決め、メロディーやサウンドなどから曲を創っていく。
ひとつの音楽の中には、メインのメロディー部分の他にも、曲が展開する部分や繋ぎの部分など、色々なパーツがある。
家を建てるように、それらのパーツが組み立てられて、ひとつの音楽になる。
音楽づくりは、家づくりと似ている。
そんな色んなパーツを創っているとき、なんとなくしっくりきていないと感じることもある。
料理していて、微妙に味が足りない気がするなぁ、って感じ。
なんとなく今ひとつ。
ちょっとした「ズレ」を逃さない。
微妙な心の声を聞く。
この「ズレ」って何か?
まだカタチになっていない音楽も、すでに完璧の音楽として存在する、って私は思っている。
そう、すでに在るものを、カタチにしてあげてるだけ。
だから、本来の姿とズレた状態、それが違和感となって感じるんだと思う。
もしちょっとした妥協をしてしまうと、前にも書いたように、純度が下がるんだと思う。
じゃあ、ズレってどう戻すの?
例えば私の音楽づくり。
なんとなく違う気がする。
その後に、なんとなく違う、という意識を頭の隅に置いたまま、寝かせる。
そして焦らず待つ。
たまにその頭の隅のものに向かってみて、まだ答えが出なければ、また寝かせる。
すると、「あぁ!チェロを入れろってことね!」と、あるとき降りてくる。
果報は寝て待て。
たいてい、フッと力がうまい具合に抜けた時に、やってくるもの。
そういうことって、音楽づくりだけじゃない。
生きていると、日々色々な選択もするし、様々なクリエイションをするもの。
本当はこうしたいのに、やめとこ。
私も人生を振り返ると、そうやって妥協してきた瞬間が山のようにある。
それに、習慣化していることに、意識を向けなかったり。
習慣って、とっても便利なものだけど、当たり前すぎて、その瞬間は本当はそれじゃないのかもしれないのに、無意識でいつも通りそうしてしまう、なんてこともある。
小さな今、に意識を向け、そこにある微妙なズレを見つけ出す。
そして寝かせることで、ズレの修正ができる。
人間もモノも、そうやっていくことで、本来の姿を現すことができるんだ。