6年くらい前に参加した、あるクリエイションワークショップで一緒のチームになった人が言っていた事を、ふと思い出した。
彼女はもともと日本画を描いていたけれど、”自然”そのものの美しさには勝てないと気づき、絵を描くことをやめてしまって、今は創作舞踏をやっていると言っていた。
それを聞いて、その当時なんとなくモヤモヤしたけど、それが何なのか、はっきりとした答えが出てこなかった。
それ以来そのことはすっかり忘れていたけれど、彼女の言っていたことへの違和感が何だったのか、そのとき自分は何と言いたかったのか、ようやく気がついた。
自然そのものにはとても勝てない
それって本当にそうなんだろうか?
“自然”と、そこから感銘を受けて生まれた”作品”は、そもそも比較するものではない。
自然は完璧な美しさを持つ。 けれど、芸術と自然は、その美しさを競うものではないのだ。
芸術は、1つの視点の提供だ。
物事はすべてにおいて中立であり、そこに何かしら意味を持たせ、何かしら感じ取るのは、人それぞれなのだ。
自然も然り。
例えば、日没の美しい太陽を見たとき、ある人は太陽の光の眩さに感動し、ある人は太陽の輪郭のぼやけた色に感動し、ある人は燃え上がるような威力に感動し、ある人は太陽の存在に感謝が沸き、ある人は生きている喜びを感じ、またある人は同じその瞬間太陽が視界に入っていても何も感じてはいない。
その光景は明らかに美しい。
けれど、その光景から何かを感じるのか、何を感じ取るかは、千差万別なのだ。
たとえ同じ人間でも、以前は何も感じなかったものに、突然激しく心が動くこともあるもの。
そして、それを表現することで、自分は自分が何を感じていたのか、改めて知ることができる。
また、その創作物によって、他人は自分では気づかなかった美しさの側面に気づくことができるのだ。
心が動いたものを形にすることは、具体的に事細かに自分の感覚を知らなければできない。
ある意味、創作することで、「自分が何を感じていたのか?」という疑問に対しての答えを見つけることになるのだ。
そして、そうすることで、その美しきモノが完全に自分の一部となる喜びを得ることができる。
何年も前に聞いた言葉への違和感が、ずっと自分の中に残っていたこと、そしてその答えが突然分かったことが、不思議なものだな、って思います。