ネット環境も悪く、テレビもない。
車もなくて、公共の乗り物もない。
お店もまわりに何もない。
日本の都心にいると「ありえない」世界に、ここ2ヶ月ほどいた。
そうすると、日本でいかに膨大な情報量の中に埋もれていたのかに気づく。
日本は、とてつもなく便利な国で、グルメな国で、正確な国。
そんなありがたい国だったと改めて気づくと同時に、それらを手放しても、人間は最低限で生きていけるものだとも思う。
大学で作曲を学んでいる頃、教授が言っていた。
「狭い部屋の机で、白い壁を見つめていたって、いい曲なんて出来るわけがない!どこか行ってこい!」
それは本当にそうで、やっぱり何かと触れることで音楽は生まれる。
私自身は、たいてい自然から音楽をもらう。
作曲って、実際の作業は部屋にこもって机でするけれど、その段階ではある意味もう曲はできている。
もちろんシンガーソングライターとか、ギター弾きながら創っていく人はいるけれど、それでも素材を得るのはどこか別の場所。
先日、姉の同僚が言っていたけれど、その人の祖母は現代音楽作曲家で、「木を見て曲を創ってるんだよ」、って笑っていた。
情報が溢れる街の中にいれば、人間の内面的なことを表した音楽ができるかもしれないけれど、私はやっぱり自然に惹かれる。
太陽の光ひとつでも、本当に様々な色、グラデーション、形、影、雲があって、見たことのない美しさを見るたびに感動する。
そんな感動が生まれるのは、やっぱり膨大な情報にギュウギュウ詰めの中よりも、開放感のあるところの方が、心の感度がいい気がする。
そんなことを思うと、押し寄せる情報の街にいても、無防備に情報の中に身をさらすのでなく、ときには目をつむり、耳をふさいで、自分が必要な分だけ拾っていくことが大切だと思う。