音和邸♪ 魂が癒される音楽

ヒーリングアーティスト トモ

ようこそ、音和邸(おんわてい)ヒーリングアーティスト、トモのサイトへお越しくださいました!
私は今、魂がホッと癒される音楽を創る仕事をしています。

 

私は、30歳になったとき、ある日とつぜん難病を患い、全身の激しい痛みと鉛のような重さで、苦しい日々が何年も続きました。そんな私を癒し、助けてくれた、天使と一緒に天から降ってきた音楽たちを、このサイトでお届けしています。

病気になってから、途方に暮れてばかりで、どうしたらよいのかも分からなかった私は、健康を求めて、たくさんの失敗や挫折をしながらも、自分の体で様々な人体実験をしてきました。気がつけば、癒しのエキスパートになっていて、あの頃の私に、「こんなことするといいよ!」「こうやって生きるといいんだよ」と、今はいっぱい伝えたいことがあります。もしあの頃知っていたら、もっと楽だっただろうなぁ・・・、とつくづく思います。ブログでは、そんな情報を発信して、私と同じように困っている人のお役に立てたら嬉しいです。

 

随分と苦しい思いをしたことで、私の心は、いつしか人の心の痛みと共鳴するようになり、人に意識を向けると、その人の魂に必要な音楽が降ってくるようになりました。人は、それぞれ別の人生を歩み、顔も体も性格も環境も誰一人として同じでない。だから、魂が癒される音楽も、それぞれ違うのです。カウンセリング音楽は、あなた専用の癒しのオリジナル音楽です。じっくりとカウンセリングをして、あなたの魂が求める1曲をつくりあげます。心がビビッときたら、お問い合わせくださいね。

 

私は、子供のころから音楽を創ることが好きでしたが、“癒し”の音楽を創るようになったのは、私自身が病気で苦しむようになってからです。

 

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不思議なことに、心が癒されていくにつれ、全身にあった激しい痛みが徐々に減っていき、お医者さんにも、「奇跡だ」と言われるほど良くなりました。「こんなにも、心と体は深く繋がっているんだ!!」と、自分の体が教えてくれました。
そして、日々、周りの様々な影響を、知らず知らずのうちに受けてしまう心を、意識的に癒すこと、自分の魂を、自分が責任を持って元気にしてあげることが大切だと、身をもって感じています。

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人生で起こる出来事は、いつも明るいことばかりではありませんよね。ときとして、とても辛いものがあります。
私にとって、社会的にいう一番働き盛りの30代が、最も苦しい道のりだったと思います。
何年も時間が止まっているかのように、 そして、籠の中の鳥になった気分で、ただじっと、苦痛に耐える。そんなふうに過ごした日々のことは、振り返るだけで涙が出ます。今は、病気になって、心から良かったと思っています。それまでの何十倍ものスピードで成長できたこと、感覚が鋭くなったこと、家族や人とのつながり、人生の生き方を見つけたことなど、病気になったからこそ得られたものが山のようにあるからです。けれどやっぱり苦しかった。だから、その苦しい時間に戻りたいとはけっして思いません。

 

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「世界にたったひとつしかない」音楽に魅力を感じ、「人の心に明かりを灯す音楽を創りたい」と作曲の道を選んだ私は、 芸術大学でクラシックの作曲を学び、ピアノ曲から弦楽四重奏、合唱曲やオーケストラなど作曲しました。大学院修了後、 音楽制作会社へ作曲家として就職し、クラシックだけでなく多種多様な音楽を創りました。

 

例えば、小学校のからくり時計の音楽、よさこいダンスチームの音楽、万華鏡館の音楽、コマーシャルソング (JR、マックスバリュなど多数)、ラジオ番組(桂竹丸の番組や他トーク番組など)の音楽、PlayStation、XBOX、 任天堂などのゲーム(ドラえもんなど)の音楽や、パソコン付属(SONY Vaio)の音楽やパソコンソフトの音楽、 イメージソング、人形劇や演劇の音楽など。ヴォーカリストとして歌も歌い、声優としても活躍しました。

 

朝から晩まで曲を創り続けていても、疲れたと思うことは一度もありません。楽譜を清書するだけでも、 面倒だと思ったこともありません。ただ、どこへ行っても、あまりに音楽が溢れているせいで、 世の中が逆に音楽に鈍感になってしまっている気がして、そんな音楽を創っている自分を見失いました。

 

 

自分は、音楽を創る機械じゃない。

 

 

dscf0042okono002会社を辞め、作曲という専門知識や、培ってきた経験を活かし、何度か小学校で音創りワークショップをしました。 作曲というのは、音を使った自己表現。音に耳を澄ますこと。そして、音楽がどのように出来ているのか。 シンプルに作曲を教え、返ってくる子供たちの音を聴いて、やっぱり自分は作曲が好きだと思いました。

 

その後、自分の音楽を探す気持ちで、海外放浪の旅に出ました。
ニュージーランドの音楽プロダクションでは、 環境も人も違う中、バックパッカーズ(ホテル)などのCM音楽やイメージソングを創り、ニューヨークやカナダでは、 映画音楽制作関連のワークショップを受け、Xファイルなどの音楽を創る作曲家マーク・スノウらと交流しました。 帰国後、映像制作会社で映像編集をする傍ら、ようやく自分の音楽を創ろうと、準備を始めました。

 

 

その日は突然やってきました。
難病とよばれる病にかかったのです。

 

 

病名はリウマチ。「リウマチって、年取った人がなるものじゃないの?」とよく言われますが、若い人でも発症することもあり、発症の原因は不明なのです。基本的に薬で抑えることしかできない難病で、若い時になるほど進行が早い上、痛みが激しく、想像以上に厄介な病気です。

全身が次々と痛み出し、動くことができない。痛くて眠れない。
鉛を背負っているように体が重く、歩くことは勿論のこと、 地に足をつけて立っているだけでも辛い。 口が1センチしか開かなくなって、食事が喉を通らない。 お皿を持つことすら重くて、プラスチックのお皿を買ってきました。 服を着替えるだけで30分もかかります。

 

 

息をすることが、精一杯。
「生きる」ことが「苦しい」。

 

 

kyoto痛み止めを呑んだら、まるで魔法のように普通に動けたけれど、 そんなのはつかの間。胃がやられ、もどして1ヶ月食べられなくなって、 ようやく食べられるようになったかと思うと、今度はお腹が空いて仕方がなく、 1日5食も食べても、どんどん痩せて体重が30キロしかなくなりました。全身が24時間痛くて眠れず、こんなに苦しいなら死んだ方が楽になるかも、と何度も思い、どれだけ泣いたかわかりません。病院の薬を溜め込んで、いざという時はまとめて飲んでしまえ、と、いつでも自ら命を絶てるよう、用意をしていました。

 

リハビリに行っても、みんなから同情の眼差しを受け、 「あの子、若いのに足が悪いのね」と陰でささやく人もいれば、 ガイコツのような自分に親切にしてくれる人もいました。

 

「あんたも私みたいにガリガリやね~。」と言って、温泉の脱衣所で初めて会ったおばあさんに、「さっきデパートで買ってきた」 といって、あられの袋詰めと、「今日はなんだかいい日になりそう」 というお地蔵さんの絵葉書をもらい、涙が頬を伝いました。

 

別の知らないおばさんは、湯船の外で座るときにお尻に敷く、 お尻マットを買ってきてくれました。 遠くのエレベーターでも、「急がなくていいよ!」とずっとドアを開けて待っていてくれる人もいました。 何も聞かず、いつも笑顔でひたすら応援してくれる人もいました。 名前も知らない人が、自分の回復を喜んでくれました。

 

 

何歩か歩くだけで辛くなり、立ち止まり、じっと空を見上げる。
あぁ、私は生きているんだ。

 

 

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透き通るような青く広い空と、優雅に自由自在に形作る真っ白な雲が、その空を泳ぐ。
美しい新緑の葉たちが、頬をなでるように風に揺られ、こすれあって、さわさわと音をたてる。
小さい小さい音がする。

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ゆっくり歩いたからこそ、見える景色があった。
立ち止まったからこそ、聴こえる音があった。

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耳が開いた瞬間でした。モノも音も、ずっと前からそこにあったはずなのに、感覚がちがう。自分の感覚が、すっかり変わってしまったのを感じると共に、音楽が、次から次へと天から降ってきました。

 

 

音楽を、創りたい。

 

 

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けれど、体が痛くて、楽譜を書くことも、パソコンで音を創ることもできない。
音楽が創りたいのに、創れない。

このまま動けなくなるのかな。
そんな不安がなかったと言えばウソになります。

 

 

一年、二年、三年、ただ痛みに耐えた。
四年、少し痛みに慣れた。

 

人の温もりで、いつも胸がいっぱいだった。
助けてもらうばかりで、申し訳なかった。
人に手を差し伸べられなくて、苦しかった。

 

そんな中、ずっと、信じてきたことがあります。
病気になったのは、何か必ず意味がある、と。

 

 

生きることで精一杯だったけれど、頭の隅でいつも考え続けました。
出会った本や人に言われた言葉の意味を、考え続けました。

 

いつも、いつも支えてくれる人に、「ありがとう」と何度言っても、とても足りないと思いました。 でも、どうしてもこの感謝の気持ちを伝えたい。今の自分には何も出来ないけれど、この思いだけは、何としても伝えたい。

 

 

忘れかけていたものが、よみがえってきました。
自分には唯一、音楽を創ることができる。

 

 

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痛みに耐え、3ヶ月間かけて、必死な思いで、100万回の「ありがとう」を込めて音楽を創りました。 何年もの長いブランクを経て初めて、自分の心の底から湧きあがる、魂を込めた音楽を創り上げたのです。

 

まだ思うように体を使えませんでしたが、その時をきっかけに、それまで体の中で癒してくれていた音楽を、少しずつカタチにして、外へと放出していくことができるようになりました。

 

それまで自分を癒してくれた音楽たちが、今度は他の誰かを癒すために。tenflower

 

ただ息を吸って生きることが、こんなにも大変だと初めて知ったから、 世の中の人々が「生きている」ことが、とても貴く思え、そして、 小さくても大きくても、どの人も、みんなそれぞれ辛さや悲しみ、怒りや不安など、 何かしら抱えて生きていると知りました。

 

 

だからこそ、精一杯生きる人の力になりたい。
自分の創る音楽が、そんな人々の心の癒しとなって欲しい。

 

 

自分が苦しい思いをしたからこそ、人の深い心と共鳴し、一人ひとりと向き合う音楽を創るようになりました。
心でひとりの人に向き合って音楽を創ることは、その人の魂に、とてつもなく大きな癒しを与え、 震える感動の涙が流れます。その感動は、私自身の感動でもあるのです。

 

今思えば、子供の頃の、「人の心に明かりを灯す音楽を創りたい」という思いは、 忘れていたようで、ずっと繋がっていたのだと思います。けれどそれは、“人の心”ではなく、 “自分の心”なのかもしれません。

 

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Healing Artist さかいともこ

3歳よりソルフェージュ、4歳よりピアノを習い、即興演奏を得意とする。 「人の心に明かりを灯す音楽を創りたい」という思いから、15歳より本格的に作曲の勉強を始め、芸術大学・大学院で作曲を専攻。在学中、子供たちへのピアノ・ソルフェージュ指導、新体操の曲アレンジなどのお仕事をする。修了後、音楽制作会社にて作曲家として、演劇、イメージソング、人形劇、CM、ゲームなど様々な曲を制作。歌手、声優としても活躍。退社後、小学校にて音創りワークショップを行った後、海外放浪し、その間、ニュージーランドの音楽 プロダクションでCM音楽制作、ニューヨークの映画音楽ワークショップに参加、カナダで映画音楽関連のワークショップに参加する。帰国後、映像編集の仕事をしながら音楽制作の準備中に、突然難病を患う。長く苦しい療養生活を経て、病気と向き合う自身の経験を活かし、心と体の健康、魂の癒しに特化した音楽づくりをしている。

♥ 大好物: サクランボ、くり、鰻、桃、中トロ
 好きなこと: 旅、自然、ブロードウェイミュージカル
 好きな音色: チェロ、レインスティック、篳篥
 好きな映画: I am Sam、サウンドオブミュージック
 好きな芸術家: フンデルトヴァッサー、堤幸彦監督
 憧れの人: 若田光一さん
 人生でやりたいこと: 
   1.地球を旅して、美しい景色を音楽に変換すること
   2.音楽・言葉・絵で、心を豊かにするお手伝いをすること
   3.地球を磨くこと

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